「よく眠れていますか」

外来でこうお尋ねすると、返ってくるお答えはだいたい決まっています。

「まあ、歳ですから。夜中に何度も起きますけど、支障はありません」

たいていの方が、眠りの浅さを年齢のせいにして受け入れておられます。実際、加齢とともに睡眠が浅くなるのは自然なことでもあります。

ただ、「そんなもの」と片づけてしまうには少し惜しい話がありますので、今日はそれを書き足します。

「寝る子は育つ」の大人版

子どもがよく眠ると育つのは、深い眠りの間に成長ホルモンが出るからです。これは昔から言われてきたとおりです。

では大人はどうか。大人の脳は、もう育ちません。その代わり、眠っている間に別のことをしています。老廃物の掃除です。


脳のゴミ、アミロイドβ

アルツハイマー型認知症の発症には、アミロイドβ(Aβ)というたんぱく質が深く関わっています。これが脳に長い年月をかけて蓄積し、やがて神経細胞を傷めていくと考えられています。

このAβ、実は特別なものではありません。神経細胞が活動すれば、その副産物として日常的に作られています。つまり、起きて考えごとをしたり、体を動かしたりしているあいだじゅう、Aβは出続けているわけです。

問題は、それがどう片づけられるかです。

 日中は、たまる一方になる

昼間は、Aβにとって二重に不利な時間帯です。

一つは、作られる量そのものが多いこと。神経細胞が活発に働いているぶん、副産物も増えます。

もう一つは、片づけにくいこと。脳の細胞は、細胞の本体から突起をたくさん張り出しています。活動している日中はこの突起がめいっぱい伸びていて、細胞と細胞のすきまが狭くなっていると考えられています。

すきまが狭いと、そこを洗浄役である脳脊髄液が流れにくくなります。Aβは細胞のまわりに吐き出されるものの、洗い流されずにその場にとどまることになります。掃除機をかけたいのに、家具がびっしり詰まっていて床に届かない、という状態です。

 夜、すきまが広がる

ところが眠りに入ると、この突起が縮みます。細胞と細胞のあいだのすきまは、動物実験では6割ほども広がることが確かめられています。
広くなった通り道に脳脊髄液が流れ込み、日中にたまったAβを洗い流していきます。ヒトでも、一晩眠らずにいると脳内のAβが増えることが報告されています。
眠りとは、単に休んでいる時間ではなく、脳が自分自身を洗っている時間なのです。冒頭の「よく寝る大人はボケない」という言い方には、こうした裏づけがあります。

ただし、単純な話ではありません

念のため申し添えておきます。

「よく眠れば認知症にならない」と証明されたわけではありません。睡眠不足がAβをためやすい方向に働くことは確かですが、認知症の発症には遺伝的な要因も生活習慣も血管の状態も関わります。眠りはそのうちの一つです。

もう一つ大切なのは、この関係が一方通行ではないということです。アルツハイマー病そのものが睡眠を障害することも分かっています。ですから「最近眠れなくなった」ことが原因なのか結果なのか、簡単には言えません。だからこそ、気になるときは早めに調べる価値があるのです。

今日からできること

  • 時間を確保する。 個人差はありますが、6時間を下回る日が続くのは避けたいところです
  • 時刻をそろえる。長さ以上に、寝る時刻・起きる時刻が毎日ばらばらでないことが大切です
  • 寝酒はやめる。 アルコールは寝つきをよくしますが、後半の眠りを浅くし、夜中の目覚めを増やします。掃除の時間を削ってしまいます
  • いびきを軽く見ない。大きないびきや、寝ている間に息が止まっていると家族に言われる方は、睡眠時無呼吸症候群かもしれません。この場合、いくら長く寝ても深い眠りが得られません
  • 昼寝は15時までの30分以内。 短い昼寝は有効ですが、長く寝ると大事な夜の眠りを妨げます

薬の前に、確かめておきたいこと

「眠れないけれど、薬は怖いから」とおっしゃる方も多くおられます。お気持ちは分かりますが、眠れないまま何年も過ごすことのほうが心配です。

ただ、いきなり睡眠薬という順番でもありません。眠れないことには、たいてい理由があります。

いびきをかいていませんか。睡眠時無呼吸症候群があると、何時間寝ても深い眠りが得られません。この場合、眠らせる薬を足しても解決しませんし、種類によっては呼吸の止まり方がかえって悪くなることもあります。まず検査で確かめるべきです。当院では、入院の要らない自宅での簡易検査(簡易型終夜睡眠ポリグラフ検査)が可能です。結果によっては、入院して行う精密検査(終夜睡眠ポリグラフ検査)が必要になることもあります。

脚がむずむずしませんか。夜中に何度もトイレに起きませんか。痛みはありませんか。 これらはそれぞれ別に治療すべきもので、睡眠薬では解決しません。飲んでおられるお薬が眠りを妨げていることもあります。

寝床にいる時間が長すぎませんか。 眠れないからと早くから横になり、朝も長く床にとどまる。これは不眠を固定させる代表的なパターンです。実際に眠れる時間に合わせて床にいる時間を短くすると、かえってよく眠れるようになります。慢性の不眠に対しては、こうした生活の組み立て直しが、国際的には薬より先に勧められています。

薬を使うなら、どう考えるか

それでも必要なときはあります。そのときは、次のように考えます。

まず、どう眠れないのかをはっきりさせます。 寝つけないのか、途中で目が覚めるのか、朝早く目覚めてしまうのか。これによって適した薬は変わります。「眠れない」の一言では選べません。

薬の種類は、大きく3つの考え方に分かれます。

一つめは、脳の活動そのものを抑えて眠らせるタイプです。古くからあり、確実に効きます。その代わり、翌朝まで効果が残ってふらつく、記憶が飛ぶ、長く使うとやめにくくなる、といったことが起こります。とくに高齢の方では、夜中にトイレに立ったときの転倒と骨折が現実的な心配です。

二つめは、目を覚まさせている仕組みの方を弱めるタイプです。比較的新しい考え方の薬で、自然な眠りに近い形になり、持ち越しやくせになりにくいとされています。人によっては夢を強く見ることがあります。

三つめは、体内時計に働きかけるタイプです。効き目は穏やかで、飲んですぐ眠くなるものではありません。その代わり依存性がなく、眠る時刻がずれてしまっている方には合います。

そして共通の原則です。 少ない量から始める。効かないからと自分の判断で増やさない。お酒と一緒に飲まない。漫然と続けず、定期的に見直す。やめるときも急にやめない。

「1錠で効かないので2錠飲みました」——これが最も危険なパターンです。必ずご相談ください。

睡眠薬は、この数年で変わりました

「睡眠薬は怖い」という印象をお持ちの方は多いと思います。その印象は、決して間違いではありませんでした。

以前は、眠らせる薬といえば脳の活動そのものを抑えるものしかありませんでした。翌朝までふらつく、夜中の出来事を覚えていない、飲まないと眠れなくなる——外来でも、そうした経験をされた方に何人もお会いしてきました。「睡眠薬は怖い」というイメージは、ここから来ています。

ところがこの数年で、事情がかなり変わりました。脳を抑え込むのではなく、目を覚まさせている仕組みの方を弱めて、自然な眠りに近づける薬が使えるようになったのです。翌朝への持ち越しが少なく、くせになりにくい。当院でも、いまはこうしたタイプを中心にお出ししています。

ですから、「昔飲んだ睡眠薬が合わなかった」という方こそ、一度ご相談いただきたいと思います。あのときとは選べるものが違います。

では、認知症は防げるのか

正直に申し上げます。「この薬を飲めば認知症を防げる」と言える段階では、まだありません。

ただ、方向としては期待の持てる結果が出はじめています。新しいタイプの睡眠薬を使った夜には、脳脊髄液の中のAβやリン酸化タウ――いずれもアルツハイマー型認知症の病理に関わる物質です――がわずかに減っていた、という報告が出ています。まだ健康な方に短期間使った研究の段階ですが、「眠りを整えることが脳にとって良い」という考え方と矛盾しない結果です。

そして、はっきりしていることが一つあります。眠れない夜を何年も我慢し続けることに、良いことは一つもないということです。眠りは、脳が自分自身を洗う時間です。その時間が毎晩削られているとすれば、それを取り戻すこと自体に意味があります。

夜しっかり眠ること。それが、いま分かっている中で最も確かで、最も手軽な、脳のお手入れです。

眠りのことでお困りでしたら、我慢なさらずにご相談ください。


この記事は一般的な情報をお伝えするものです。睡眠のお悩みや認知症のご心配については、診察のうえでご相談ください。

さかぐちクリニック